島崎泉治商店の歴史

 島崎家初代の利兵衛(1654〜1726)は父七左衛門とともに滋賀県日野町(近江商人発祥の地)から他の近江商人同様、天秤棒を肩に関東地方を何度も往復しながら、小間物類を行商して蓄財し、先駆者に教えられて酒造株を買い取り、この茂木の地に在った酒蔵を譲り受けて創業したと伝えられている。
  滋賀県日野町の歴史書「日野町誌」に拠ると元禄16年(西暦1703年)の創業と記載されている。これは日野商人の長い歴史の中でも早い時期のことである。
  以来、栄屋(さかえや)の屋号で茂木の地に深く根を張り、代々酒造業の他に農産物売買や質屋なども手広く商っており、県北の黒羽や氏家、大田原にも支店を出していた。
  また、江戸時代は茂木藩の御用商人となり、藩内1、2を競う大店(おおだな)として茂木藩主より紋付羽織を受領し、「名字帯刀」を許されていた。天保年間(1831〜1843)には二宮尊徳とともに茂木藩の財政改革に深く関わり、多くの功績があったことが記録(尊徳全集23巻より)に残っている。
 明治時代になって郵便制度が始まると当店舗内に郵便局が置かれ(明治5年)、7代目当主が初代の郵便局長に任命されている。大正時代中頃まで振替や郵便貯金、それに電信電話の業務まで取り扱っていた。
島崎泉治商店の外観 島崎家の歴代の当主たちはそれぞれ芸事に造詣が深く、3代目利兵衛は水墨画を能くし、号を雲圃(うんぽ)と称した。その作品の中でも「鮎魚遊泳」の掛け軸は雲圃の直弟子であった小泉 斐(こいずみ あやる)の作品2点と共に、栃木県の指定文化財となって当家に所蔵されている。4代目利兵衛は謡曲を好み、5代目利兵衛は生け花を能くした。6代目より名前を栄屋島崎利兵衛より島崎泉治と改め、現当主は10代目として今日に至っている。
 昭和32年よりは法人組織として「株式会社 島崎泉治商店」としている。また清酒「泉月花」の銘柄の由来は古来より飲酒の際によく使われている「雪月花」(雪見酒・月見酒・花見酒)という字句の「雪」を歴代当主の名前の「泉」に置き換えたものと思われ、明治時代より使用している。
  当社は「品質本位」を社是とており、その品質は最も権威のある酒類総合研究所主催の全国新酒鑑評会や関東信越国税局主催の清酒鑑評会での数々の入賞がその実績を物語っている。最近では平成11年、12年全国新酒鑑評会連続入賞、さらに平成13年、16年には全国新酒鑑評会最高の金賞を受賞している。これからも真摯な姿勢で「美味しい日本酒造り」に励んでいきたい。